10年近く診てもらっている整体治療院の先生が結婚した。先日、背中を揉みほぐしてもらいながら、新婚生活はどうですかと尋ねてみたところ、「誰かが家で待っていると思うと張り合いがあります」と笑ったものの、少し間を置いてから「でもね」と言うなり、そこから堰を切ったように不満を述べはじめた。肩甲骨のあたりを押す指に力が一層こもってくる。
直接の原因は土鍋だという。先生は独身時代、いつもその土鍋で御飯を炊いていた。7年ほど前に購入しずっと大切に使ってきた。先生の言葉を借りると「育てた」ものだった。美味しく炊けるよう、使用後も洗剤などは絶対に使わずに水洗いをする。もちろん他の煮炊きに使うなど以ての外。ところが新妻がそれを知らずに、どうやら土鍋で豚肉の煮物をこしらえたらしい。御飯用の土鍋でそんな料理を作ったら、油と匂いが染みこんでしまってもう使いものにならないではないかと、先生は激しく立腹した。「そんな当たり前のことも知らないのでしょうかね」と同意を求められたので、米を「研ぐ」のではなく「洗う」人が世の中の大半なのだから、もはや常識とは言いきれないでしょうとなだめるように答えておいた。
そもそも自らが信じる常識は他の人の常識ではないと心得るべきだ。そのうち、お互いの常識の中間のあたりに、なんとなく気持ちの落としどころが見えてくるから、それをネガティヴに「妥協点」と呼ばず、ひとりでは到達できなかった「新境地」と考えるのがいい。先生を相手にそんな内容のことを、さらに続けて偉そうに喋ってしまったのはまったくもって蛇足だった。50歳を過ぎて一人っ子もないだろうが、自分には兄弟がいなかったので、いくつになっても、他者がごく身近にずっといることに居心地の悪さを感じる性格のままである。そんな自分でも、20年近くカミさんと一緒に暮らしていると、先輩風をふかして他人と暮らすコツについて語るようになるのだから面白い。実際のところもはや自分が、ひとりよりもふたりが楽しいと思っていることは、素直に「成長」と受け止めておくべきだろう。
ずいぶん前に出版されたもので、『ひとり』というディスクガイドのような本があった。ハース・マルティネスの名曲のタイトルをそのまま副題にしていたので、中味はすでに保証されているも同然と読みはじめたら、やっぱり面白かった。いま、その本が手元にないから、具体的にどんな音楽を挙げていたかを細かく説明することができないのは残念だ。たしか、「SWEET」「MILD」「BITTER」というふうに全体を三つのセクションに分けてあったと記憶している。載っているレコードの半分以上はまったく知らない、あるいは知ってはいるがまだ聴いたことのない音楽だったけれど、タイトルとジャケットを見ただけで、『ひとり』というくくりがいかに的を得ているかがわかって、ニヤリとさせられる。『ひとり』というキーワードで串刺しすることが、もしかしたら実際にそのレコードを聴く行為よりも楽しいのではないかとさえ思った。
実は『ひとり』の共著者のひとりは自分の友人である。その友人に、『ひとり』の感想を伝えたときだったか、「もうすでに続編のことを考えてあります」と教えてくれたタイトルは、『ふたり』だった。ふたりで作った音楽、ふたりのために作られた音楽、ふたりの意味を考えさせられる音楽は、ひとりの音楽とどれほど違うのか。ひとりでは到達できない境地に達した音楽について、きっと上手に掘り下げてくれるのだろうと期待してずっと待っているのだが、もうすでに8年が過ぎてしまっている。
ところで冒頭の話に戻ると、件の豚の煮物の味はどうだったのかと先生に質問したら、照れる様子もなく「とてもおいしかった」と言い放っていたから、愚痴だったのかのろけだったのか、いずれにしても心配無用ということのようである。
◎ミュージック・ダイアリー2月『WITH LOVE』(ユニバーサル・インターナショナル/2008年1月発売)