February 14, 2010

六本木ヒルズが建っている辺りに「WAVE」があった頃だから80年代の終わりである。「WAVE」の4階、アート本を揃えた「ストアデイズ」という書店で、素晴らしい写真集を見つけた。タイトルは『FELLINI’S FACES』。フェデリコ・フェリーニ監督の映画に登場する俳優たちのポートレイトを集めた本だ。マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ、クラウディア・カルディナーレなどの美男美女、フェリーニ好みの実に個性的な顔立ちをした脇役たちに混じって、中にはどう見ても素人としか思えない人物の写真もたくさんおさめられている。オーディション用に集めた資料なのかもしれない。巻頭にフェリーニ自身によるわりと長文の解説があり、読めばどのような意図で編集された写真集なのかをきちんと理解できるのだろうが、立ち読みの悲しさでそこは端折ってしまったから、真相は確かではない。ところで、「ストアデイズ」を覗くのはいつも他の階でレコードをさんざん買った後である。だいたいは所持金がかなり心許ないという状況になっている。このときもそうだった。クレジットカードを使ってもよかったのに、何故だか、また次に来たときにしようとさらりと諦めてしまう。それがいけなかった。数週間後に寄ってみると、『FELLINI’S FACES』は棚から消えていた。その日以来、パリやロンドンやフィレンツェや東京でずっと探し続けてきたけれど、10年を過ぎても、手にする幸運に恵まれていない。

そんな話を、古書店を営む友人にしたのは8年ほど前だ。彼は『FELLINI’S FACES』を当然のごとく知っていて、優しく笑いながら「たしかにあの本は、簡単には見つからないかもしれませんね」と首を振った。半年ばかり後、その友人から電話があり一緒に昼食を食べようということになった。帝国ホテルの「オールドインペリアルバー」を提案し、ロビーで待ち合わせる。先に着いたのでソファに座って待っていると、やがて友人が現れた。「お待たせしてすみません」と謝りながら近づいてくる彼を見た瞬間、もしかしたら『FELLINI’S FACES』が見つかったのではないだろうかと感じた。紙包みを抱えているし、言いたくてたまらないことがあるのを必死で抑えているような顔をしていたからだ。

遅い午後のバーは客もまばらで、薄暗さと相まってとても落ち着く。二人でビールを飲みクラブサンドウィッチを頬張りながら話をした。しかし、友人はやけに当たり障りない話題しかふってこないし、自分は自分で、さっきの予感みたいなものに心を占領されてしまっているため、半ば上の空で相槌にも気が入らない。予感は当たっているだろうと確信した。とはいえ、自分から言うわけにはいかない。噛み合わない会話は1時間ほど続き、そろそろ出ようかと腰を上げかけたところで、忘れ物を思い出したといったふうに、「そういえば、これ」と友人が件の包みを差し出した。座り直して開けてみると、やはり『FELLINI’S FACES』だった。チューリヒで出版されたドイツ語版。10年以上も探していた本がついに再び目の前に現れたのだから、これ以上の喜びはない。ただ、ホテルの玄関から彼が入ってきた時点で、こうなる気がしていた。そのことは決して彼に悟られてはならない。自分はたったいま、まったく、微塵も、予想していなかった最高のプレゼントをもらったのだという喜びを爆発させるべきだ。ところが、自然に振る舞おうと考え過ぎたためか、逆に、妙にぎこちない、まるで他人事のような態度になってしまったのである。

あのとき、友人に、自分の顔はどう映っていただろうか。今でも『FELLINI’S FACES』を開くたび、そのことが気になってしまう。

◎ミュージック・ダイアリー10月『BOOK』(ユニバーサル・インターナショナル/2007年9月発売)より。