オアフ島のノースショアまでドライヴしてサンセットビーチの夕日を眺めるとき、ゆっくりと沈んでいく太陽や刻々と変化する大波だけでなく、それらを前にして言葉を失い陶然とする誰とも知れない人々の背中がそこにあるからこそ、より感傷的になってしまう。どうやら自分はそういうタイプの男らしい。誰もいない絶景のビーチにひとり佇んで物想いに耽りたいのではないのだ。去年の夏の終わり、久しぶりに「パパイヤ」に行き、缶ビールを飲みながらそう思った。
パパイヤは鎌倉の由比ヶ浜海岸にある海の家だ。友人たちがそこでアルバイトをするようになってから通い始めた。10年ほど前のことだろうか。週末ごとに出かけては、パラソルとビニールのベッドを借りて砂浜に寝そべっていた。暑さに耐えきれなくなったら中に入って缶ビールを買い、葦簀張りの席でゆっくりと飲む。ラーメンを食べたり、氷あずきミルクを頼むこともよくあった。古いハワイアンやラテン音楽が流れる店内を、パパイヤのおばちゃんが気配りしながら動き回る。おじちゃんはときどき店の周囲の砂地に水を撒いている。その姿を目の端で追いかけたりしながら、ぼんやりと半日は居続けるのだ。それが自分の夏の過ごし方だった。ところが5年ほど前から、何故かパパイヤからは足が遠のいていた。
一昨年の夏のはじめ、まだ海の家が建ち並ぶ前に由比ヶ浜海岸を歩いたことがある。海はどんよりと濁り、砂浜に海藻のようなものがたくさん打ち上げられて嫌な匂いを放っていた。潮の流れのせいだったのかもしれない。思わず溜め息をついたら、カミさんが「タイの島に行くようになってから、鎌倉の海にあまり来たがらなくなったね」と言う。たしかにそのとおりだった。5年前からサムイ島のチャウエンというビーチに通いだして以来、近所の由比ヶ浜をごみごみと人の多い居心地の悪い場所と思うようになっていたのだ。結局、その夏も、パパイヤにはイベントを覗きに一度いっただけ。ビーチで和むことはなかった。
去年の夏の終わりのある朝、葉山の一色海岸に行こうかとカミさんと家を出たのだが、布きれ一枚も持っておらず、しかも午後からにわか雨が降りそうな空模様で、歩いているうちに遠出をする気が失せてしまった。カミさんはどうしてもビキニになりたいと言う。不承不承、由比ヶ浜に行くことにした。海岸に降りて遊泳監視所の前を過ぎると、白とブルーに塗りわけられたパパイヤの入口で、友人が大きく手を振っているのが見えた。パラソルとビニールのベッドを借り、ビーチのいちばん後ろのほうに陣取って寝ころんだ。正午近くに中に入り、ラーメンを注文して葦簀張りの席で食べる。おじちゃんが水撒きをしていた。おばちゃんもにこにこ笑っている。海風が心地よい。ビールを飲み、小一時間ほどそうやって過ごしていて、ふと思った。自分は綺麗な海を見たいのではない。ビーチの少し後ろのほうから、波打ち際で普段よりたくさん笑ったり優しい気持ちになったりしている家族連れやカップルを、見るともなしにずっと見ていたいのだ。だから、自分にとって気持ちの良い場所は、タイのビーチにもハワイのビーチにも、そして由比ヶ浜にも等しくある。そう気づくことができてから、残りの夏はパパイヤで楽しく過ごした。
パパイヤの営業は去年が最後だったと知ったのは、つい最近である。パパイヤがいつもそこに在ってずっと変わらなかったことの素晴らしさに、あらためて感謝したい。
◎ミュージック・ダイアリー8月『SEASIDE』(ユニバーサル・インターナショナル/2007年7月発売)より。