海外へ旅行するときに行きと帰りの飛行時間が違うのは、風のせいなのだと知っている。西に向かうときは向かい風、東に向かうときは追い風で、例えばタイに行くのなら、往路は6時間以上かかるけれど、特に冬になると帰りが5時間を切るのではないかというくらい短くなり、風の力が相当のものであることをあらためて感じさせられる。その風のことをぼんやりと「貿易風」だとずっと思っていた。しかし先日、バンコクに向かう飛行機の中で、北半球の貿易風は北東の風なのだから、西に向かうときには追い風にならなくてはおかしいではないかと気がついた。ということは、いま飛行機の機首に向かって吹きつけているだろう風は「偏西風」なのだとうか。それとも「ジェット気流」だったろうか。あれこれ考えているうちに、ライアル・ワトソンの『風の博物誌』を無性に読み返したくなった。旅行を終え東京に戻ってすぐに家の本棚を探したが、一向に出てくる気配はない。業を煮やし、あらためて文庫本を買ってしまった。
『風の博物誌』を最初に読んだのは20年以上前のことだ。体調がすぐれないので病院に行ったら、そのまま入院させられそうになった。一日だけ猶予をもらい、家に帰って数冊の本とウォークマンと寝間着と着替えを準備して、大屋さんに長期留守をする旨を伝え、翌日の早朝から病室暮らしが始まった。大部屋にベッドの空きが無かったため、最上階の個室にとりあえず入ってくださいと言われた。たしか15階だったと思う。とにかく眺めが良くて、3日目に待っていたベッドが空きましたと知らされたときには、もう病室を移る気が失せてしまっているほどだった。入院は5週間にわたり、その間、検査時間以外はおとなしく横になっていなくてはならなかった。本を読み、音楽を聴き、窓の外を眺めて過ごす。晴れたり、曇ったり、雨が降ったりするのをぼうっと見るだけ。灰色のちぎれ雲がすごい速さで空を流れていき、遠くの木の枝が大きく揺れているので、今日は風が強いのだとわかる。見舞いに来てくれた友人がしきりに鼻水をかんでいるから、今日は寒いのだとわかる。そんな日々が続く。家を出るときに大慌てでバッグに詰めた数冊の本の中に『風の博物誌』があった。入院中に読んだ本の中でも、この本をとりわけ印象深く記憶しているのは、いつも同じ室温に調節され窓を開けることを禁じられた無風の部屋で読んだからに違いないのだ。「風は目に見えない。(中略)だからといって人間は風について考え、思案し、心配しないわけにいかないーーしかも心象のなかでその形さえ描いてみる」とライアル・ワトソンは書いている。病室の窓から「風を見る」しかなかった自分に、その言葉は妙に染み入ってきたのだった。なのに、退院の日がどんな天気だったか、どれくらい風が吹いていたか、まったく覚えていない。
この文章を書いているうち、入院中、繰り返し聴いたカセットテープのことも思い出した。友人が選曲して作ってくれた。音楽の趣味が同じようでいて微妙に違う男だったので、自分の知っている曲はほぼ皆無。だからいつまでも飽きることがなく、いちばんよく聴いた。たしか、ゴドレイ&クレイムの「ウェディング・ベルズ」が入っていたはずである。他の曲は、残念ながら忘れてしまった。
◎ミュージック・ダイアリー5月『WINDY』(ユニバーサル・インターナショナル/2007年4月発売)より